「あー…分かった、分かったから、とにかく少し落ち着いたらどうかね」
いつも通り食事の緑に手をつけなかった事に大層腹を立てた玄冬の視線が冷たく刺さる。
ダイニングから廊下へ急ぎ足で出たところで背後に気配を感じた私は振り返ってギョッとした。
夕食の後片付けを投げ出してまで小言……いや、説教をする気満々の玄冬の表情に何か言いようの無い悲しいものを感じる。
「こんな風に育てた覚えはないのだけれどなあ……」
「何か言ったか?」
うっかり口を突いて出た本心に玄冬の眉間の皺が深くなった。
(ああ……勿体ない……君は笑っている方が良いのに)
曖昧な笑顔で首を横に振りかわす。私が誕生日にプレゼントしたエプロンは真面目な君には少し冗談が過ぎたかもしれない。玄冬はその可憐な装いに反した渋面で腕を組むと深いため息をついた。
贅沢にあしらわれた白いフリルがおかしな程不似合いだ。
「黒鷹、お前はどうして食事の度に野菜だけ残すんだ?」
「私は猛禽類だと何度も言っているだろう? 野菜は必要無いのさ。本当は肉だって火を通さなくても食べられる。しかしせっかく君が料理してくれたんだ、これでもいつだって君の事を想って食しているんだよ玄冬」
「ああ、そうだな。しかしそれなら野菜だけ残すのはおかしいだろう。野菜も俺が心を込めて育てたものだ。ドレッシングも俺が一から作ったぞ」
「君ねぇ……」
ガンとして引き下がる様子の無い玄冬に私も深いため息を吐いてしまう。
こうなった玄冬と押し問答をしても埒が開かないのは百も承知だ。
私は自室の扉を開けると玄冬に構わず中に足を進めた。玄冬は変わらず仏頂面で小言を言いながら私の後ろから着いてくる。
いつまで追いかけて来るのか気になった私は自室の奥の扉からバスルームに入り、湯を張る準備をした。
温かいお湯が蛇口から注がれ室内に湯気が立ちこめる。同時に玄冬のかけている眼鏡が真っ白に曇り始めた。しかし玄冬は眼鏡が曇る事など一向に意に介さない様子で、室内を適当に動き回る私の足取りを正確に捉えては腕を組んだまま緑色の説教を続けている。
適当に受け流して返事をしても、最早玄冬は緑の大切さを説くことそれ自体に執心しているのかあまり突っ込まれない。
窓を少し開けると玄冬の眼鏡の曇りも引いていく。
残念ながらいまだ雪の積もった二月の寒空の冷気でさえ玄冬の緑に対する情熱を冷ます事は出来ないらしい。
湯を張り終えたので部屋の方に移動しようとすると、当たり前の様に玄冬は後ろから着いてきた。バスルームに用が無いなら当然だが、これではまるで親鳥の後を着いて歩く雛のようだと私は少し可笑しくなって吹き出してしまう。
リーディングデスクのランプを灯して深い方の引き出しを開けると、先日白梟のご機嫌伺いに彩の国を尋ねた時に街で買い求めたチョコレートの箱が見えた。
王室御用達の看板が誇らしく掲げてある瀟洒な店らしくチョコレートの箱は中々どうして私の好みだ。
別段甘いものに興味はそそられないが、箱を開け綺麗に並んだそのひとつを口に入れてみる。成る程、王室御用達の名に相応しい気品高く深い香りが口内に広がった。甘さも上品な仕上がりだ。
「黒鷹、ちゃんと聞いているのか? 人の話も聞かずにお前何を」
玄冬は急に唇に押し当てられたそれに驚いて、驚いたが故の意味不明な行動に出たのだろう、私の指先につままれていたチョコレートをうっかり咥えてから口にしまうと何とも言えない妙な表情をした。それから直ぐに口内の熱で溶け出し広がるそれがチョコレートだと認識したのか静かに私を見つめた。
きっと君の好きな味だろう? 玄冬
「お代わりはどうだい?」
摘んでいるうちに体温で溶けた指に残るチョコレートを舐めとりながら感想を尋ねると、口元が緩んだままにそっぽを向かれてしまった。
終
2023.02.13