冬を迎え暗く鈍い色をした雲が厚く重なる日々に久しぶりの晴れ間が覗いている。
 あともう少しだけ雲が流れてくれれば、暖かい日差しが居間に指し込むだろう。
 ソファから見上げる窓に覆われたカーテンは、玄冬が天気を確認する時に指を差し込んだであろう隙間が開いている。しかし結露した窓からの景色は灰色に濁ったように見えるだけだった。
 
 昨晩遅く帰宅した私は暖炉の火が十分まだ残っていたのをいい事にソファで眠りについた。
 毛布代わりにした外套は寝相で床に無造作にずり落ちている。
 玄冬はもう畑に向かったのか、それとも家畜小屋であの恐ろしく乱暴な鶏に餌でも与えているのか。
 静まり返った邸内に玄冬の気配はない。
 暖炉の火はきっと玄冬が家を出る前に薪を焚べたのだろう。パチリと火の爆ぜる音が居間に響いた。
 身体を起こし、外套を拾い上げようとするとゴトリと鈍い音を立てて分厚い本が床に転がった。
 昨晩あの人のご機嫌伺いに訪れたあと夜遅くまで開いている繁華街の書店で買い求めた本だ。書店の主人とうっかり長話をしてしまい帰りが遅くなってしまったのをふと思い出す
。  同時に外から賑やかな声が聞こえてきた。どうやらあの桜色の髪の子供が来ているらしい。
 昨日の夜は城内では見かけなかったから、恐らく村の宿にでも泊まっていたのだろう。朝早くに人里離れたこの家までご苦労な事だ。あの人も転移装置を貸してやれば良いものを。
 救世主──の、はしゃぐ声と甲高い鶏の鳴き声で私は思考を中断すると、結露まみれになったガラス窓を拭いて外を覗いた。
 鶏を抱えた玄冬がこちらに背中を向けた子供の向こう側に見えた。
 かがみ込んだ玄冬に救世主が何やら耳打ちをしている。
 玄冬は大事なものを見るときの目で救世主に向かい静かに微笑んだ。
 名前の分からないフリをした感情が私を支配し始める。
「おはよう玄冬! なんだ? 来ていたのかちびっこ、道理で騒がしい朝だ!」
 私は勢いをつけカーテンを全開にすると、窓を開け広げ出来るだけ大きく声を掛けた。
「黒鷹、起きたのか」
「なんだよバカトリ」
 二人は同時に私の方を見ると揃えたように銘々口を開いた。救世主はあからさまに残念そうな顔をしながら。
「お前、何時に帰ってきたんだ?」
「さあ、二時には帰っていたと思うがどうかな?」
 鶏を抱いたままで玄冬は窓際に近寄ると眉間に皺を寄せてレンズ越しに訝しげに私の方を見た。
 救世主が後に続く。
「何なの? バカトリ昨日いなかったの? だったら、」
 
「──だったら何だね?」
 うっかりトーンを間違えて聞き返した事に気付いたが後の祭りだ。険悪な空気が救世主から漂ってくる。
「お前に関係ない」
 この子供は本当に素直で物分かりが良い。あの人も中々に子育てが上手いじゃあないか。
 自分の大事なものへの素直な感情と、それを邪魔するものや自分への敵意を感じる能力は玄冬に爪の垢を煎じて飲ませてやりたい程だ。もっとも実際には断じてお断りなのだが。
「とりあえず中に入りなさい、鼻が赤いぞちびっこ。玄冬も朝の農作業は済んだのだろう? 出来れば私に暖かい朝食を」
「いいぞ、取れたての野菜があるからそれで作ってやろう」
 上手く誤魔化したつもりが藪蛇だったようだ。
「冗談はやめたまえ! 朝っぱらから野菜など誰が!」
 大袈裟に答えると玄冬は抱いていた鶏を地面に下ろし上着を手で払いながら答えた。
「良い薬だろう」
   何の薬なのかは聞かずにおく事にした。玄冬の後ろで救世主が鼻を隠して笑っていた。

   終

2022年12月20日 11:40