救世主がもうそこまで来ている。
 玄冬に会いに来たのだ。会わせずに帰らせる方法を考える暇はなく、本来「救世主」とやり取りしている時間も惜しい。
 何もこんな朝早くに来る事もないだろう、と思ったところで自分のしている事に自嘲した。
 ──時間など関係ない、か。
「──玄冬ーいるー? おはよう」
 扉を叩く音と共に花白の声が聞こえてきた。
 気乗りはしない、という意思表示を込めて相手の顔が確認できるだけの隙間を開ける。と、案の定私を見上げて露骨にガッカリした表情を浮かべる春の花弁の色をした子ども。
「やあ、おはようちびっ子。今日はいやに早いじゃないか。たけのこ狩りにでも行くのかい?」
「ああ、バカトリ…おはよう…玄冬いる?」
「玄冬? いないよ」
 自分でも鈍らな返答だと思った。考えなしにも程がある。こんな返事でこの子どもが納得する訳がない。
 救世主は私と扉の隙間から中を覗くように一歩踏み出した。
「……酒くさい」
「ああ、すまない。昨晩少々飲み過ぎたらしくてね」
 眉を顰め花白は踏み出した足を戻す。
 寝室から途中リビングで酒を引っ掛けておいたことが功を奏した。
 出来るだけ扉を全開にしないよう羽織ったガウンを利用して居室への花白の視界を塞ぐ。
「退いてよ、入れない」
「玄冬はいないぞ。いないのに入るのかね?」
「嘘をつくなよ、いるんだろ玄冬」
「いないさ」
「どうして」
「どうしてって」
「あのさあ…僕が用があるのは玄冬なんだけど」
 玄冬絡みでこの子どもを言いくるめて家に帰らせるのはそもそもが無理というものだ。
 しかし今室内に入れる訳にはいかない。
 何故なら──。
「入るよ、玄冬いるんでしょ」
「こんな早朝に黒の鳥に用があるとは面白い救世主だな。あの人が見たら嘸かし楽しい事になるだろう」
 押し入ろうとする花白の頭上から、出来るだけ挑発するように声を掛けてやるとピタリと動きが止まった。
「……どうしても会わせたくないって事かよ」
 玄冬には見せない薄暗いその目で私を睨み付ける。あの人はこの子どもをどうやって──いや、それは私も言えた義理ではないか。
「ああ、今は駄目だ」
 小さく舌打ちすると花白はポケットに手を突っ込む。
「悪いな。伝える事があるなら」
「いい、お前に伝言なんて頼みたくない」
 遮るように言い放つと花白はこっそり持ち出して使っているのであろうあの人の転移装置で消えていく。
 安堵のため息を吐きながら後ろ手に扉をゆっくりと閉めた。木製の扉は春先のまだ冷たい空気から湿気を含み重さを増しているようだ。
 
 
 
「黒鷹?」
「今戻るよ」
 玄冬の部屋に戻る途中、リビングを覗くとカーテンが少し開いていた。まだ朝の光は差し込んでいない。あの子どもが直接部屋を訪ねていたら、と一瞬考える。
 脱がした際に床に投げ出していた玄冬の上着を拾い上げるとどこからともなく花弁が一枚落ちた。


   終

2022年3月19日 08:16